

夏の終わりに
波の音を聞きたい。夏の終わりに伊豆の小さな浜辺に僕は座っていた。地元の子供が網でコバルトスズ
メをすくって、小さな水槽に入れている。太陽にその碧い色が映え、小さな水族館をつくっている。
ほどなく夕暮れには、潮が満ち、もうあの子供たちの入れる場所は消え失せた。
この海は、だれも知られず、毎日そんなことを繰り返しているのだろう。
あくまでも静かに、変わっていく。
瀬戸内の町で
幼い頃から回りには、瀬戸内の白い砂浜と松林の風はいつもあった。
秋の海は、ひときわ透き通り、砂浜に突き出た堤防からのぞき込む僕を魅了した。
その海を見ながら、真後ろにすーっと街を越え、たどり着くところが、中学校に続く裏山。
そこからは、白い砂浜と松林は遠くに見える。ここで幾度、何時間眺めていたのだろう。
その裏山と海に挟まれた、小さな街や路地が須磨という町。今は、もう遠い昔のこと。それを語れる友はもういない。
四季
夏は、太陽がじりじり髪を焼き、木陰を探しながらとぼとぼ歩く。加減を知らない太陽が憎らしい。ひとときの爽やかな風。溶けてしまいたいほどそんな風が愛おしい。
冬は、ちくちく冷たい風。風を憎みながら、ひたすらたかたか歩く。そのとき、ひなたに出会うなら、追いかけたいほど太陽が愛おしい。
春は、道や木を観ながらのったり歩く。風は暖かく薫り、すべてに始まりを感じさせる。
秋は、こころにすきま風。涼しい風が、時折冷たく豹変し、ひやりと顔をかする。
秋は夕方。これから暗く長い夜が始まるよと警告し始める。
あの砂浜のにぎわいは遠い幻。
海が見えるお寺
子供のころ、捨てネコを拾ってきては、生き延びれるまでごはんをあげた。でも、大きくなると海が見える高台のお寺にそっと置き去った。さよならする時のネコの寂しそうな鳴き声は今も忘れられない。そのお寺の裏山も、今は高速道路がさえぎり、幼い頃、父に連れられた山へはもう登れない。あのネコの子孫もきっとどこかで生き延びてると信じたい。石段を降りるとき、前に広がる瀬戸内の海と線香の煙。それは切なく甘い思い出の香り。
昔の砂浜の上で
このマンションは、昔の砂浜に建つ。その堤防が今は、サイクリングロードとなり、下の公園とつながっている。ベランダより眺めると、数人の子供たちが、走り回っている。なにをするのでもなく、ふらふら、あっちに走り、こっちに走り。こんな寒い日に。
深夜のゆりかもめ
深夜のゆりかもめ。静まった海、高層ビルをすりける。暗闇に街は呼吸を止めた。
いつもの場所
春のある日、いつものように、いつもの砂浜に座っている。ゆっくりとした波の音、やさしい日差し、潮の香り。そのゆりかごの中で、本を開く。水平線には、大きな砂運船がとまって見える。淡路島がかすみ、東の山から空が紅く染まり始める。砂をはらい振り返ると、裏山が黒く夜の始まりをおしえてる。自転車にまたがって、いつもの道をたどると、そこはもう町の夜が始まっている。
雨
ざんざんだんだん、雨がふる。そこのけそこのけ競争で、道に、川に、あふれ出し、道をつたい、溝をつたい、ひとにふまれ、くるまにはねられ。それでも、そこのけそこのけ、いちもくさん。ざんざんだんだん、雨がふる。もうすぐもうすぐとうちゃくだ。
静かな海でそっとおやすみ。
あの堤防で
あの堤防に腰掛け、下を覗くとエメラルドの水が揺れていた。深く深く、でも、どこまでも透明に。
ここには、僕らともう一人だけ。サンダル脱いで、足をぶらぶら。いつまでも、いつまでも、はなしてた。それは、ずっと昔のこと。
それは今もみる夢のスケッチ。
ドアのむこうのJAZZ喫茶
JAZZ喫茶の片隅、煙草のけむりで赤くくすんだ本のページ。文字がベースと雑じり始める。にがいコーヒー。ベースのリズム。ドラムが心臓の鼓動に変わる。くるしいくるしい、でも、高貴で高貴で。
ひっそりとしたこの店に、ひとり歌うレコード。店のドアを開ければ、潮の音が聞こえるのに。

